あわれみがあるからこそ未来がある

みなさん、こんにちは。

梅雨が明けたと思ったら、各地で大雨で大変な事になってますね。

さて、最近の多くの会社は新入社員に即戦力になるとことを求めるので、昔のように時間をかけて上司が新人の面倒を見ながら教えてあげるような文化がなくなっている、と聞きます。

それは企業に余裕がなくなってきているからかもしれません。これが新卒の若者の3年以内の離職率も約32パーセントというのにも影響しているのかもしれませんね><!

誰でも、今まで誰かに面倒を見てもらい、助けてもらい、時には失敗して迷惑をかけて、成長していけるものじゃあないでしょうか。

今の自分に自分だけの力で成長してきた、と言うような人でも必ずどこかで誰かの世話になり、今のその人があるんだと思います。

仕事で新人がミスする時でも、子供がヘマして家族に迷惑かけるような時でも、私達はあわれみをもらって、大目に見てもらい、忍耐してもらい、見逃してもらいながら前に進み続けて、学んで、成長していくことができるものですよね?

でも、それには誰かがどこかで私達の失敗の代償を払ってくれることになります。あわれみがないと、赦される事も、大目に見られることも、次のチャンスを与えられる事もありません。

そんなのだったら、人の成長なんてありませんよね?前に進むこともできません。

聖書の神様はあわれみ深い方であると書いてあるんです、というか、そういう方なんです:)

「愛」と「あわれみ」が同意語で聖書では使われている箇所がたくさんあります。

神様はいつも私達に対してあわれみを持って、忍耐深く成長を見守り、助けてくれます。

それは私達の罪の代償をイエスキリストが十字架の上で代わりに負って死んで、生き返ったから、私達があわれみを受け取ることができるからなんですね。それが罪の赦しっていうものなんです。

あの発明王と言われるトーマス・エジソンは「私は電球をつくる一つの方法を見つけてわけではない、電球をつくれない1000もの方法を見つけたのだ」と言いました。

誰にでも、失敗しても前に進み続ける為のあわれみが必要だと思います。

でないと、先が見えてこないですよね?

あわれみがなければ未来に希望はもてないのかな?とも思います。

今週も、家族に対して、友人に対して、同僚に対して、他人に対して、そして、自分自身にたいしてもあわれみ深くありたいですね。

神様の平安と恵みが、今週もみなさんとともにありますように。

「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」(テトス3:4-5)

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