愛は感じる?それとも…選択する?

みなさん、こんにちは。

また暑さがぶり返してきましたね><!
まったく早く夏が終わって秋になって欲しいものです笑。

聖書の中で最も大切なものと言われている中で、恐らくもっとも誤解されているものがあります。

何だと思いますか?

それは愛だと思います。聖書には「神様は愛です」って書いてあるんですよ。

神様は愛を持っている、ではなくて、神様は愛です、なんです。
で?違いは何って思いますよね?それは神様の本質そのものが愛ってことです。

ところで何故ここでいう聖書の「愛」は誤解されていると思いますか?

それは現代の映画やテレビや色々なものの影響で愛というのは「感じるもの」ということで教えられているからだと思います。

でも本来聖書の言う本当の「愛」は「感じる」ものではなくて「選択する」ものなんです。

どういう意味?と思いますよね?

それは例えば、この人は素晴らしい人だし心が熱くなるから、愛したいと「感じる」から愛する!

ではなくて、この人には色々問題もあるかもしれないけど私はこの人を愛するという「選択をした」から愛し続ける。

っていうものなんです。

もちろん、心が熱くなることも、愛を感じることもあると思います。でも、本当の愛はそれらには左右されないということなんですね!

どうでしょうか?そんなのが本当の愛なら愛なんて面倒くさい、と思うかもしれません。

そうなんです。そういう時もあります(笑)。

でも、それでも愛し続けるという「選択をする」愛が本当の愛であり、実は神様が私達に対して持っている愛なんです。

聖書にはジーザスは神様だったのに私達を愛して、人になり十字架の上で私達の罪の罰を負い死ぬことを選びました。(もちろん彼は3日目に生き返ったのだけど)

ジーザスは神様で罪も無く十字架につかる必要はなかったんですね~。

でも、彼は私達に罪の赦しを与えて、永遠の命という、神様の子供になる特権を与えてくれることを「選択しました」。

この自分の命を私達のために捧げるという「選択してくれた」ことによって、神様の愛が私達は分かるんです。

あと本当の愛は誰も奪うことも、壊すこともできないものって知ってます?><

第2次世界大戦中のナチスの支配下で何百万人の人が殺された地獄のような強制収容所から生き延びた精神科医のヴィクトール・フランクル氏の言葉にこんなものがあります。

「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」

つまり、人間はどんな状況にあっても必ず「選択」することができるということです。
周りの何者も私達の「選択」を奪うことはできないんですね~。

愛したいと「感じる」感情や気持ちは移り変わりもするし、なくなるものでもあります。

私達が愛するという「選択」による本当の愛は誰も奪うことも、壊すこともできないんです:)

だから、聖書の教える本当の愛、つまり、神様の愛は強いものなんですね。

そして、ジーザスを信じる人の心にはその力強い神様の愛が注がれると書いてあります。

是非、今週もその力強い神様の愛をたくさん受け取って歩んでいけたらと思います。

みなさんに、恵みと平安がありますように。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
(1ヨハネ4:10)

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