神様が愛を示した方法

みなさん、こんにちは!
連休は猛暑でしたが、まだ続くようですね。
秋が早くきてくれないかと思います笑

さて、聖書には愛についてたくさんのことが書いてあります。
でも、人間の愛についてではなくて、神様の愛について書いてあるんです。

愛についてたくさん教えているなんて、弱弱しいイメージを持つ方もいるかもしれません。

聖書の教える神様の愛は相手に与える愛です。
何も見返りを求めずに相手の為に与える愛が神様の愛なんですよ。

そんなのできるのか?と思うかもしれませんが、人間から出る愛には無理なんです。
だから、神様の愛なんですね。

みなさんは、他の人に愛を示す一番の形はどんなものだと思いますか?

プレゼントを贈ることでしょうか?仕事を休んで一緒に旅行に行くことでしょうか?
たくさん稼いで家族に楽をさせてあげることでしょうか?
いつも美味しい食事を作ってあげることでしょうか?

聖書には、人が自分の命を他の人の為にささげるよりも大きな愛はないと言っています。

結婚式の新郎新婦の誓いには心を打たれるものがないでしょうか?
何故でしょうか?
それは自分の残りの人生を相手の為にささげるという決断を示すからだと思います。

(戦争なんて無い方がいいですが><。。。)

人々が国民や愛する家族を守る為に命をささげて戦場に行くことに心を動かされることがあるんではないかと思います。
何故でしょうか?
それは彼らが自分の命を人々の為にささげるという決断を示すからではないでしょうか?

聖書には、

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)

と書いてあります。

もちろん、イエスキリストは死者の中から生き返りました。
でも彼は一番大きな愛を十字架の上で私達が負うべき罪の代償を私達の代わりに負うことで示してくれました。

それは彼を信じる人が罪の赦しを受けて、永遠の命を持つためです。

自分の命を他人の為にささげることは、誰にでもできることではないです。

だから、聖書の教える神様の愛は弱弱しいものではないんですね。

むしろ、力強く、私達を見捨てない愛なんです。

今週も恵みと平安が皆さんと共にありますように!

広告

あわれみがあるからこそ未来がある

みなさん、こんにちは。

梅雨が明けたと思ったら、各地で大雨で大変な事になってますね。

さて、最近の多くの会社は新入社員に即戦力になるとことを求めるので、昔のように時間をかけて上司が新人の面倒を見ながら教えてあげるような文化がなくなっている、と聞きます。

それは企業に余裕がなくなってきているからかもしれません。これが新卒の若者の3年以内の離職率も約32パーセントというのにも影響しているのかもしれませんね><!

誰でも、今まで誰かに面倒を見てもらい、助けてもらい、時には失敗して迷惑をかけて、成長していけるものじゃあないでしょうか。

今の自分に自分だけの力で成長してきた、と言うような人でも必ずどこかで誰かの世話になり、今のその人があるんだと思います。

仕事で新人がミスする時でも、子供がヘマして家族に迷惑かけるような時でも、私達はあわれみをもらって、大目に見てもらい、忍耐してもらい、見逃してもらいながら前に進み続けて、学んで、成長していくことができるものですよね?

でも、それには誰かがどこかで私達の失敗の代償を払ってくれることになります。あわれみがないと、赦される事も、大目に見られることも、次のチャンスを与えられる事もありません。

そんなのだったら、人の成長なんてありませんよね?前に進むこともできません。

聖書の神様はあわれみ深い方であると書いてあるんです、というか、そういう方なんです:)

「愛」と「あわれみ」が同意語で聖書では使われている箇所がたくさんあります。

神様はいつも私達に対してあわれみを持って、忍耐深く成長を見守り、助けてくれます。

それは私達の罪の代償をイエスキリストが十字架の上で代わりに負って死んで、生き返ったから、私達があわれみを受け取ることができるからなんですね。それが罪の赦しっていうものなんです。

あの発明王と言われるトーマス・エジソンは「私は電球をつくる一つの方法を見つけてわけではない、電球をつくれない1000もの方法を見つけたのだ」と言いました。

誰にでも、失敗しても前に進み続ける為のあわれみが必要だと思います。

でないと、先が見えてこないですよね?

あわれみがなければ未来に希望はもてないのかな?とも思います。

今週も、家族に対して、友人に対して、同僚に対して、他人に対して、そして、自分自身にたいしてもあわれみ深くありたいですね。

神様の平安と恵みが、今週もみなさんとともにありますように。

「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」(テトス3:4-5)

父の日に考える事

みなさん、こんにちは。

ここ数日なんか寒いくらいですね。

今日は父の日でした。みなさんは何かしましたか?

自分の子供に何かしてもらって嬉しくない父親はいないと思います。

父親は、息子なら成長して強くなって欲しいと願うだろうし、娘ならきれいになってほしいと願うし、いつまでたってもかわいく思うものなんだと思います。

それに子供が自分を頼りにしてくれる時には嬉しいし、何でもして助けてあげたいと願うんじゃあないでしょうか。

もちろん、完璧な人間はいません。だから、完璧な父親はいないですけどね:)

でも本来父親は子供の成長を喜び、支え、見守り、助けたいと思うものだろうなと思います。

聖書は神様は本当は私達の父親であると言ってるんですね。

そして、イエスキリストを信じるなら神様の子供になると書いてあります。

人は神様のかたちに似せられて造られました。

それなら、なおさら私達の父親である神様は人間の父親のようであるはずじゃあないでしょうか?

だって、私達は神様に似せられて造られたのだから。

今週も平安と恵みがみなさんとともにありますように!

 

 

 

 

梅雨でも心は年中晴れ

みなさん、こんにちは。
東京も梅雨に入り、今日は雨です><!

曇りで、ジメジメしてると、気持ちまでどよ~んとしようです。。
でも本当は晴れの日と同じように、雲の向こうにはまぶしい太陽と青空がいつもと変わらず広がってるんですよね?

聖書には「神は光であって、神のうちには暗いところは少しもない」と書いてあります。(ヨハネ1:5)

皆さんのうちに目を向けてみましょう。イエスキリストが共にいてくれることに気がつくと思います。

それなら、心は曇りじゃあないですよね?
そう、イエスキリストを信じたらいつも心に光があるんです。

ある意味年中晴れです(笑)

今週も平安と恵みが皆さんとともにありますように!

「わたしは光として世に来ました。わたしを信じる者が、だれもやみの中にとどまることのないためです。」(ヨハネ12:46)

神様について考えるのは自分自身について考える事?

みなさん、こんにちは!

もう東京も暑くてジメジメし始めました><。梅雨のスタートでしょうか。

さて、みなさんは神様は本当にいると思いますか?

この質問について考えてみる事は、実はとても大切なことなんです。

何故なら、それは皆さん自身の人生について考える事でもあるからなんです。

え~、何それ?と思うかもしれませんけど、本当にそうなんです。

神様はいないと思いますか?

もし神様はいないのなら、私達人間は偶然によって生まれた生物、が進化して、進化して、人間になった生き物ということになります。

もし偶然によって生まれたのなら、人間の目的はただ子孫を残して、食物連鎖の上に上るためだけに存在しているということになります。それ以上の意味も目的もありません。

なんかつまんない、ですよね(笑)。

でも、もし神様はいると信じるのなら。。。。どうだと思いますか?

もし神様がいるのなら、人間やすべての生き物は神様によって造られた、ということです。

私達が神様によって造られたのなら、何で神様は私達人間を造ったのかな?と思いませんか?

皆さんも何かを作る時には、誰かに食べてもらいたい料理にしろ、上げたい贈り物にしろ、自分の部屋に飾りたい絵にしろ、必ず何か目的を持って作りますよね?

神様は何で私達を造られたのか?

これが私達が、皆さんが今ここにいる本当の目的なんです。

聖書には神様は私達を目的を持って造られたと書かれています。

そして目的を持って、今の時代と場所に置かれた、と書いてあるんですよ。

偶然、今ここに存在しているんではないんです:)

「神は、ひとりの人からすべての国の人々を造り出して、地の全面に住まわせ、それぞれに決められた時代と、その住まいの境界とをお定めになりました。」(使徒の働き17:26)

そして、私達の為にちゃんと人生の計画も用意していてくれるとも書いてあるんです。

「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。――主の御告げ。――それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ29:11)

さて皆さんは、神様はいると信じますか?

グッドニュースは、神様はいるんです:)

そして、皆さんには今ここにいる目的があり、神様の用意している計画があるんですね。

そう考えると、なんか人生が楽しくなりませんか?エキサイティングだと思います。

聖書には私達の造られた目的と計画が書いてあります。

そして、本当にその目的にあって歩んでいく第一歩はイエスキリストを信じることです。

だから神様について考える事は、実は私達自分自身の人生について考えるって事なんですね。

これは誰にとっても大切なことだと思います。

是非、じっくり考えてみてください。

今週も皆さんに神様の恵みと平安がありますように!

 

 

 

 

 

 

愛、信仰、希望はずっとある

こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。愛を追い求めなさい。(1コリント13:13-14:1)

皆さん、こんにちは。

東京は久しぶりに雨が降りました。
午後からはどこも晴れ気味で暖かく過ごせたと思います。

天国と聞くと、どうでしょうか、どんなイメージがあるでしょうか?

なんだか綺麗で、夢見心地で、何でも手に入るパラダイスのような感じでしょうか?

実は聖書には、天国でも私達は信じること、希望を持つこと、愛することがあると書いてあるんです。

もちろん天国には悲しみも、災いも、苦しみも、涙も、死もないです。(黙示録21:1-4)

でも、私達は信じて、希望を持ち、(神様の愛をもって)愛することをするということですね。

聖書は、今この地上でも私達は私達は信じて、希望を持ち、(神様の愛をもって)愛することをしていきましょうと教えています。ある意味、天国に行く前の練習期間です(笑)。

もちろん失敗も沢山すると思います。失敗は嫌ですけどね。
でも失敗をしたということは、挑戦したということでもあると思います。

天国に入る唯一の方法はイエスキリストを信じることですが、この今の時をどう過ごすかによって、天国での永遠の人生に影響すると考える時に、私達の毎日がとても大切で、貴重な時間と思えたりもするものだと思います。

今週も信じて、希望を持ち、(神様の愛をもって)愛することを実践していきたいですね。

神様の恵みと平安が皆さんと共に今週もありますように!

今日は、カツどんでした!美味しかったです:)
P_20180415_125132

イースターの日でした。

みなさん、こんにちは。

今日はイースターでした。

イースターっていうのは、十字架の上で私達の罪を負って死んだ、ジーザスが生き返ったことを祝う日です。

彼は死も克服して、天に昇ったから、私達も彼と共に天で永遠に生きる確信が与えられるんです。

この地上にいる時には色々な困難の中でも、喜び、祝福、心に平安があって歩むことができる。

そして、死んで肉体が滅ぶ時には、永遠に彼と共に生きることができる。

ということを神様は確信して、信じることができるよう信仰というものを与えてくれます。

ホント?と思うかもしれません。

でも、キリスト教ではすべて知ってから、信じることはないんですね。

信じてから、本当に知ることができる、という事の方が多いように思います:)

今日もみんなで食事をして、楽しい時を過ごせた事に感謝!!

教会って心落ち着けるとこだなっていつも思います。

このジーザスの死からの復活に感謝して今週も過ごしたいものです。

では、みなさんに平安と恵みがありますように!

もし、私たちがこの世にあってキリストに単なる希望を置いているだけなら、私たちは、すべての人の中で一番哀れな者です。 しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。(1コリント15:19-20)

P_20180401_122940