クリスマス会のご案内

東京スプリングオブライフクライストチャーチのクリスマス会のご案内です。

チラシはこちらからダウンロードできます。

クリスマス会チラシ2018

クリスマス2018

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愛は感じる?それとも…選択する?

みなさん、こんにちは。

また暑さがぶり返してきましたね><!
まったく早く夏が終わって秋になって欲しいものです笑。

聖書の中で最も大切なものと言われている中で、恐らくもっとも誤解されているものがあります。

何だと思いますか?

それは愛だと思います。聖書には「神様は愛です」って書いてあるんですよ。

神様は愛を持っている、ではなくて、神様は愛です、なんです。
で?違いは何って思いますよね?それは神様の本質そのものが愛ってことです。

ところで何故ここでいう聖書の「愛」は誤解されていると思いますか?

それは現代の映画やテレビや色々なものの影響で愛というのは「感じるもの」ということで教えられているからだと思います。

でも本来聖書の言う本当の「愛」は「感じる」ものではなくて「選択する」ものなんです。

どういう意味?と思いますよね?

それは例えば、この人は素晴らしい人だし心が熱くなるから、愛したいと「感じる」から愛する!

ではなくて、この人には色々問題もあるかもしれないけど私はこの人を愛するという「選択をした」から愛し続ける。

っていうものなんです。

もちろん、心が熱くなることも、愛を感じることもあると思います。でも、本当の愛はそれらには左右されないということなんですね!

どうでしょうか?そんなのが本当の愛なら愛なんて面倒くさい、と思うかもしれません。

そうなんです。そういう時もあります(笑)。

でも、それでも愛し続けるという「選択をする」愛が本当の愛であり、実は神様が私達に対して持っている愛なんです。

聖書にはジーザスは神様だったのに私達を愛して、人になり十字架の上で私達の罪の罰を負い死ぬことを選びました。(もちろん彼は3日目に生き返ったのだけど)

ジーザスは神様で罪も無く十字架につかる必要はなかったんですね~。

でも、彼は私達に罪の赦しを与えて、永遠の命という、神様の子供になる特権を与えてくれることを「選択しました」。

この自分の命を私達のために捧げるという「選択してくれた」ことによって、神様の愛が私達は分かるんです。

あと本当の愛は誰も奪うことも、壊すこともできないものって知ってます?><

第2次世界大戦中のナチスの支配下で何百万人の人が殺された地獄のような強制収容所から生き延びた精神科医のヴィクトール・フランクル氏の言葉にこんなものがあります。

「あらゆるものを奪われた人間に残されたたった一つのもの、それは与えられた運命に対して自分の態度を選ぶ自由、自分のあり方を決める自由である。」

つまり、人間はどんな状況にあっても必ず「選択」することができるということです。
周りの何者も私達の「選択」を奪うことはできないんですね~。

愛したいと「感じる」感情や気持ちは移り変わりもするし、なくなるものでもあります。

私達が愛するという「選択」による本当の愛は誰も奪うことも、壊すこともできないんです:)

だから、聖書の教える本当の愛、つまり、神様の愛は強いものなんですね。

そして、ジーザスを信じる人の心にはその力強い神様の愛が注がれると書いてあります。

是非、今週もその力強い神様の愛をたくさん受け取って歩んでいけたらと思います。

みなさんに、恵みと平安がありますように。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」
(1ヨハネ4:10)

神様が愛を示した方法

みなさん、こんにちは!
連休は猛暑でしたが、まだ続くようですね。
秋が早くきてくれないかと思います笑

さて、聖書には愛についてたくさんのことが書いてあります。
でも、人間の愛についてではなくて、神様の愛について書いてあるんです。

愛についてたくさん教えているなんて、弱弱しいイメージを持つ方もいるかもしれません。

聖書の教える神様の愛は相手に与える愛です。
何も見返りを求めずに相手の為に与える愛が神様の愛なんですよ。

そんなのできるのか?と思うかもしれませんが、人間から出る愛には無理なんです。
だから、神様の愛なんですね。

みなさんは、他の人に愛を示す一番の形はどんなものだと思いますか?

プレゼントを贈ることでしょうか?仕事を休んで一緒に旅行に行くことでしょうか?
たくさん稼いで家族に楽をさせてあげることでしょうか?
いつも美味しい食事を作ってあげることでしょうか?

聖書には、人が自分の命を他の人の為にささげるよりも大きな愛はないと言っています。

結婚式の新郎新婦の誓いには心を打たれるものがないでしょうか?
何故でしょうか?
それは自分の残りの人生を相手の為にささげるという決断を示すからだと思います。

(戦争なんて無い方がいいですが><。。。)

人々が国民や愛する家族を守る為に命をささげて戦場に行くことに心を動かされることがあるんではないかと思います。
何故でしょうか?
それは彼らが自分の命を人々の為にささげるという決断を示すからではないでしょうか?

聖書には、

しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。(ローマ5:8)

と書いてあります。

もちろん、イエスキリストは死者の中から生き返りました。
でも彼は一番大きな愛を十字架の上で私達が負うべき罪の代償を私達の代わりに負うことで示してくれました。

それは彼を信じる人が罪の赦しを受けて、永遠の命を持つためです。

自分の命を他人の為にささげることは、誰にでもできることではないです。

だから、聖書の教える神様の愛は弱弱しいものではないんですね。

むしろ、力強く、私達を見捨てない愛なんです。

今週も恵みと平安が皆さんと共にありますように!

あわれみがあるからこそ未来がある

みなさん、こんにちは。

梅雨が明けたと思ったら、各地で大雨で大変な事になってますね。

さて、最近の多くの会社は新入社員に即戦力になるとことを求めるので、昔のように時間をかけて上司が新人の面倒を見ながら教えてあげるような文化がなくなっている、と聞きます。

それは企業に余裕がなくなってきているからかもしれません。これが新卒の若者の3年以内の離職率も約32パーセントというのにも影響しているのかもしれませんね><!

誰でも、今まで誰かに面倒を見てもらい、助けてもらい、時には失敗して迷惑をかけて、成長していけるものじゃあないでしょうか。

今の自分に自分だけの力で成長してきた、と言うような人でも必ずどこかで誰かの世話になり、今のその人があるんだと思います。

仕事で新人がミスする時でも、子供がヘマして家族に迷惑かけるような時でも、私達はあわれみをもらって、大目に見てもらい、忍耐してもらい、見逃してもらいながら前に進み続けて、学んで、成長していくことができるものですよね?

でも、それには誰かがどこかで私達の失敗の代償を払ってくれることになります。あわれみがないと、赦される事も、大目に見られることも、次のチャンスを与えられる事もありません。

そんなのだったら、人の成長なんてありませんよね?前に進むこともできません。

聖書の神様はあわれみ深い方であると書いてあるんです、というか、そういう方なんです:)

「愛」と「あわれみ」が同意語で聖書では使われている箇所がたくさんあります。

神様はいつも私達に対してあわれみを持って、忍耐深く成長を見守り、助けてくれます。

それは私達の罪の代償をイエスキリストが十字架の上で代わりに負って死んで、生き返ったから、私達があわれみを受け取ることができるからなんですね。それが罪の赦しっていうものなんです。

あの発明王と言われるトーマス・エジソンは「私は電球をつくる一つの方法を見つけてわけではない、電球をつくれない1000もの方法を見つけたのだ」と言いました。

誰にでも、失敗しても前に進み続ける為のあわれみが必要だと思います。

でないと、先が見えてこないですよね?

あわれみがなければ未来に希望はもてないのかな?とも思います。

今週も、家族に対して、友人に対して、同僚に対して、他人に対して、そして、自分自身にたいしてもあわれみ深くありたいですね。

神様の平安と恵みが、今週もみなさんとともにありますように。

「しかし、私たちの救い主なる神のいつくしみと人への愛とが現われたとき、神は、私たちが行なった義のわざによってではなく、ご自分のあわれみのゆえに、聖霊による、新生と更新との洗いをもって私たちを救ってくださいました。」(テトス3:4-5)

父の日に考える事

みなさん、こんにちは。

ここ数日なんか寒いくらいですね。

今日は父の日でした。みなさんは何かしましたか?

自分の子供に何かしてもらって嬉しくない父親はいないと思います。

父親は、息子なら成長して強くなって欲しいと願うだろうし、娘ならきれいになってほしいと願うし、いつまでたってもかわいく思うものなんだと思います。

それに子供が自分を頼りにしてくれる時には嬉しいし、何でもして助けてあげたいと願うんじゃあないでしょうか。

もちろん、完璧な人間はいません。だから、完璧な父親はいないですけどね:)

でも本来父親は子供の成長を喜び、支え、見守り、助けたいと思うものだろうなと思います。

聖書は神様は本当は私達の父親であると言ってるんですね。

そして、イエスキリストを信じるなら神様の子供になると書いてあります。

人は神様のかたちに似せられて造られました。

それなら、なおさら私達の父親である神様は人間の父親のようであるはずじゃあないでしょうか?

だって、私達は神様に似せられて造られたのだから。

今週も平安と恵みがみなさんとともにありますように!