SYさんの体験談

これは僕が神様とどうやって出会ったかのストーリー。

僕としてはなんとなく普通の家庭で育ったと思う。でも、両親がよく喧嘩するのを見てたので、いつも間にか家 族も日本も嫌になっていた。

今振り返るとまあ甘やかされて生きていた。学校ではいつもどこか自分を他人と比べて、自分を好きになれなか った。学校の成績もぱっとしないで、いつも平均よりも少し上位だった。それでいいやと思っていた。

でも心のどこかでそんな現実から逃避したいのもあり、高校を卒業してカナダのバンクーバーへ留学した。

当時は野心に燃えて名誉とか功績を求めて大学で平和紛争学を学んだ。でも今では学んだことはほとんど覚えて
いない笑。自分自身では動機は人助けだったけど、でも、それはカッコつけであって、自己満足以外の何者でも なかった。後でそれは良く分かった。

ともあれ留学3ヶ月後に、現地であまり友人もできずにカルチャーショックにもなり、引きこもりがちになった。 そんな中で孤独を感じる日々が続いた。友達や仲間が欲しかったので日系人教会に行くようになった。

最初はそんな動機でしかなかった。でも教会では初対面にもかかわらず皆僕を暖かく迎え入れてくれたので、い い場所だなと思えた。そして、自然と若者同士で話し合いながらの聖書の勉強会に参加していった。

それまで僕自身神についてあまり考えたことはなかったし、そんな機会もなかった。今は楽しく好きなことがで きればいいやと思って生活する毎日だった。

聖書の勉強会では友人がイエスキリストを信じる決心をして、いつも笑顔で喜びのある人に変えられていくのを
何度も見た。それを見て、彼らを変えることができるイエスキリストってどんな人なのか?自分の人生も変えて 欲しい、変わりたいと思うようになった。

当時、大学を編入する準備のために日本に一時帰国した際に、突然肺気胸になってしまった。肺気胸はなかなか
治らないとか、治っても再発するというようなことを聞いて将来の事がとても不安になっていた。そんな中バン クーバーの教会の人達が僕の為に祈っているよと連絡をくれた。

そして、数日後に医者に行くと、なんと肺の穴もふさがっていた。その時に神様が癒してくれたのだとなんとな く思い、彼が僕のことを見守っていてくれるのかなと考え始めた。

それからカナダへ戻ってから僕がイエスキリストを信じるまで長くはかからなかった。ある日台所でふと“もし
神様が本当にいるのなら、この聖書のいう神であるイエスキリストは僕達を愛してくれる神だから、もしそれが 本当なら、その神を信じて生きてゆきたいなぁ”と考えていた。

すると、まるで心のうちで光が一瞬輝くように、“私が真理である”と語るのを心の中で聞いた。言葉ではうま く言い表せないけれど、きっと神様が語ってくれたんだと思っている。
そして聖書に書いてあるように、自分は神の前には罪人で、イエスキリストが僕の罪の罰を代わりに受けてくれ たから、罪の赦しを受け取ることができることを真理だと受け入れて信じようと思った。

当時は大学編入の為にバンクーバーからウィ二ペッグという町に引っ越す前だった。それで、もう今のタイミン
グを逃したら、この先一生イエスキリストを信じる決断をする機会はないかもしれないと思い、イエスキリスト を信じる決断をして洗礼を受けた。

それから日々の生活の中で神様を、イエスキリストが生きていて共にいてくれることを体験するようになった。

聖書には、だれでもキリストイエスのうちにあるものは新しく造られた者です。古いものは過ぎ去り、見よ、す べてが新しくなりました、と書いてある。イエスキリストを信じて初めてその意味がを心から分かった。

それから両親との関係も良くなった。今では、どこにいても神様が共にいてくれることを知っているから孤独に
もならない。神様が父親として僕のことを愛してくれていることが分かるから心にもいつも喜びがある。これが あの時に友人のうちに見たあの喜びだったんだなぁと今は分かる。

他にも神様は長年の間葛藤していた中毒からも解放してくれたり、悪かった腰も癒してくれた。こんな感じて僕 はイエスキリストに出会い。彼は僕の人生を変えてくれた。